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命の責任を学んだ「美」クエスト

私の息子の小児喘息の自然治癒に至るまで

あなたに私が人生の中でも特に影響の大きい体験をお伝えしたいと思います。

これは鳥蝶のコンセプトの元になっている体験です。


私の息子は2歳を目前にして小児ぜんそくと診断されました。

それも重度のぜんそくです。

それまでも、生後2か月から便通が不安定になり、2か月半で細気管支炎で、2週間ほど入院しました。

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そののち、アトピーが顔に出始めました。35.jpg

完全にアレルギーマーチの状態です。

アトピーが引っ込んだら、風邪を一週間おきに引いては病院通いの日々でした。

タイに住んでいるというのに、息子はほとんどいつも長そでを着せていて、

それでも鼻水を垂らしはじめたらその後2週間は治らない大風邪を引くのです。

そんな生活の最中に今度はぜんそくと診断されました。

それからは発作が起きると病院に行って、すぐ点滴、吸入。

これに2時間以上の時間がかかりました。

嫌がり、泣きわめく息子を必死に押さえつけて吸入をさせたり、

点滴に繋がれて自由に動けなくて嫌がるまだ1歳代の息子を

一生懸命になだめながら病院の中で点滴が終わるのを待つ日々を繰り返しました。



そして、いくら薬をあげても、吸入をしても、一向に息子の病状は良くはならず、どんどん悪化していきました。





しまいにはお医者様も、

「親御さんが、子供がかわいそうかわいそうってきちんと 吸入させていないんじゃないの?

 押さえつけても子供のためなんだから、やなくちゃ治らないよ」



と、いう言葉に自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れたような気がしました。

こんなに毎朝毎晩必死の思いで全力で言われた通りのことは実行しているのに。

吸入だってさせているし、薬だって飲ませている。

それでもお医者様にこんなことを言われるなんて、



「私たちの生活をきちんと見てもくれない、

 たかが3分の診療で薬を与えてくれるだけのお医者様に、

 これ以上何も考えずに頼っても、 悪化していく息子の病状を治すことはできない」



と本能的に悟ったのです。




●自然療法との出会い



「もう、病院はこれ以上のことを提供してはくれないんだ」と、

見切った私は自力で息子を治すための研究を始めました。

毎日様々な図書館に通いぜんそくを治すための体質改善のヒントを探りました。



そして、日本の伝統的な自然療法の考え方に出会ったのです。 (※自然療法についてはページ末のコラムをご参照下さい)

それを、すぐに実行に移しました。



びわの葉を取り寄せて、朝晩、朝晩実行しました。 36.jpg

すると、今までの毎日の発作がうそのように息子は元気になりました。

保育園も休まずに行けるようになりました。


ここで、

「そのハーブが良かったから、その時の食事療法が良かったから治ったんですね?」

という風に考えていただくのはもってのほかです。



もちろん食事や薬草などテクニック的なものに、一定の効果はあります。

でも、本当に息子の病気を改善させた本質の部分は何だと思いますか?

それは私自身の息子の命に対する姿勢だったのです。



「かわいい子供の命を他人任せにしてどうする?他でもない私自身の手で治してみせる」という

炎のような意志が湧き上がり、やってのけたのです。



そのことから、命の責任を自分が最終的に取るという覚悟を はっきりと表明することで、

本当の健康という自由を手に入れることができたのです。



これが私たち一家の一番始めの魂を揺さぶる鳥蝶のコンセプトとなる経験でした。

なぜ、肝心なのは手当の仕方や食事ではなく「姿勢=ビジョン」なのかということについてはまだ続きがあります。


そう、この時点ではまだ完全に治癒してはいなかったから、なんですね。


このとき、重篤な状態からは抜け出せたものの、

その後に食事や手当に心が入らなくなると体調に不安定さが出てくることが経験で分かったのです。



ここでお断りしておきたいのはお医者様に言われた一言で発奮した私でしたが、

お医者様が悪い、

病院が悪い、

西洋医学が悪いと言っているわけではありません。

お医者様は医者として、やるべきことをやってくれたと思っていますし、救急医療は必要です。

そのときと場合に応じて、今後も病院を利用していくつもりです。



問題なのは、このときの私たちは、ただただお医者様の言ったことだけを忠実に実行していただけだったのです。

そう、完全に病院に依存しており、何も自分で考えていなかったのです。



ここでやっと気づいたことは、

自分たち家族の健康に関して、何も考えず、症状が出たら、盲目的に病院に行き、

言われたとおりに薬を服用すれば病気が治り、健康が維持できると思っていては



思う通りに生きられない。



自由ではない。



楽しくない。

ということです。



例えば、仕事をするにしても、「いつ次の発作が来て休まなくてはいけないのか」という心の重荷を抱えていては、

スケジュールを立てることもままなりませんから。



病院は出ている症状を軽減させてくれるところであり、

あなたの健康に責任を持ってくれるところではないのです。

自分の望むように時間を使う生き方をしたいなら

いつ病院通いになるかわからない生活は嫌ですよね。



ならば、自分や子供の健康には自分で責任を持つしかないのだと気づいたのです。

「自分たちで息子の健康に責任をもつ」と親としての姿勢を改め、

自然の手当と食事の改善により、2、3日に一回の病院通いの必要だった息子のぜんそくの発作とは無縁になった私たちでした。

ひどい乾燥に見舞われ、気温の低くなる乾季になっても、

早めの手当てと安定した食生活により発作を起こすことはありませんでした。


●大事なのはバランス ?

数か月間はそのような安定さをみせていたのですが、

私がちょうど、日本語教師を始めようとした頃、息子の体調がまた、不安定になりました。



母親と子供の心はつながっているということを嫌というほど実感したのもこのころです。



主婦と翻訳の仕事という裏方の仕事から、人前に出て教えるという全く異なった職種への変更で私自身、

自分の殻を脱ぎ捨てるための多少の痛み(不安やプレッシャー)と

外の世界に出られる喜びを実感しているところでした。



そういった新しい刺激に浸っているうちに、

息子への母親としての関心の向け方のバランスが崩れていたのです。



それによって、また息子が免疫力を下げる結果になってしまいました。

こうなったら、正しい食事をしていても、いくら自然の手当をしても、一向に良くならないのです。



なぜなら、肝心なのは関心のバランスや向き合い方=姿勢という部分であって、

病院に頼るか、自力の手当で自然に治すかという部分ではなかったからです。



病院にどっぷり依存してはだめだと気づいて自分で治そうとしたら、

今度は自分で治すということにどっぷり依存していたと気づいたのです。



私たちは自然の手当でも今度は悪化していく息子の症状をみて、病院に行きました。

病院に頼ってはいけないという自分の拘りを手放したのです。



何事も肝心なのはバランス。


頼ることと、責任を持つことのバランス。


時間の取り方のバランス。


自分の成長のための時間と、息子の成長のための時間のバランス。



こんなことをこの一件で学びました。 40.jpg

そして、症状が落ち着くと、すぐに休暇をとって、

家族でこじんまりとした浜辺のホテルに遊びに行きました。

そこで、まだ咳をしていながらも、

息子は今までみたことのないようなはしゃぎぶりでした。



夫と私の3人で浜辺で転げまわるようにして遊びました。

まさに何もかも忘れて、自然に帰った休日を過ごしたのです。

そして、帰る頃には息子の咳は完全に治まり、

その後、鼻水すら垂らすことはなくなりました。

この体験を通じて、

息子の病とも上手く付き合っていけると安心していたのです・・・。


多くの人にもこうやって体質改善ができることを

知ってほしいと思いました。

しかし・・・、






●まさかの大発作、再発。


その後は、大好きな日本語教師の仕事を辞めて、

鳥蝶のベースとなるヨガや自然療法を教える活動を始めました。


それまで暮らしていたバンコク郊外のジャングルのような環境で新鮮な空気に囲まれた土地から、

私たちの活動をより広めるためにバンコクの中心に移り住んで、

活動の拠点となるSalon de ChoChoをオープンしました。



引っ越しのバタバタで、冷蔵庫を新調するのにもたついたりしているうちに食生活も乱れ、

慣れないバンコクの空気のひどさや、サロンオープン準備の夫と私にかかった数々の心理的プレッシャー、

焦り、不安の数々が山積みでした。



そうこうするうちに、

もう出るはずのなかった息子のぜんそく発作が、

稲妻で始まる スコールのように私たちに降りかかりました。



夜中に突然、猛烈な勢いで発作を起こし、

もうハーブを作って当てている余裕などないほど激しいものでした。



すぐさま、病院に行き吸入をしました。

ベッドの上で青白い顔をして「寒い・・寒い・・・」と、弱弱しく嘆く息子が不憫でなりませんでした。

「病院に頼ることと、自分でできることのバランス・・バランス・・・」



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どこからどこまで頼ったらいいのか、何を自分たちですればいいのか分からず混乱していました。

ようやく発作が治まった息子が夜中にすやすや寝ているところに、

看護婦さんがネプライザー(ステロイド吸入器:もこもこさん)をあてにやってきました。


せっかく寝ているのに、様子も見ずに一括管理されるのは嫌だし、

薬を上げるごとに弱っていく息子の自然治癒力を思うと恐ろしくて震えが来るほどだったのです。





私は病院に来ていながら薬に怯えてたのです。


「大丈夫だから、今はお薬はいいです」と、必死で断りました。

発作がない時には、少しでも吸入するのを最小限に済ませたかったのです。

仕方なさそうに帰っていく看護婦さんには申し訳ないことをしたと思います。



その時の私の形相は多分相当やつれ、42.jpg

恐怖に執り付かれ、

怖いものだったに違いなかったはずです。


それにもかかわらず、

その30分後には激しい発作がやってきてどうしていいか分からなくなりました。


そして、もうお薬に頼るしか選択肢はないとナースコールをして吸入をさせました。

しかし、今度ばかりは吸入すら何の役にも立たないほど 発作はおさまらないのです。



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私は病院のベッドの上で今にも息が絶えてしまいそうな激しい発作を起こしている息子を抱えて涙を流しながら

宇宙を割るような、壊れそうな、いや壊れてしまいたいという悲痛な叫びをあげました。 



そして叫び続けました。

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と。

私の苦悩は息子の体のことだけではありませんでした。

自分たちがこれから、多くの人の体質改善をお手伝いしようと息巻いて、

バンコクにサロンを開こうとしていたその時だったのですから、私は絶望しました。



そして、家族の一人もまともに治すことができない自分に人様に何か教えることはできない。



「初めから無謀だったんだ。」



といきなり、谷底に突き落とされた気分でした。



「何もかも、はじめから意味なかったんだね。すべて白紙に戻そう」



とんだ道化モノを演じていた自分が、哀れで痛々しすぎて、泣きながら笑いすらこみ上げて来ました。



しかし、私は少し心残りなことがあったのです。

それはハーブヨガの神様との約束があったこと。

だから神様にこう告げた。



「もう、あの約束は破棄するよ。私には無理だったんだから。

ねぇ、それでいいよね?」



いつもなら、「お前は本当に馬鹿だなぁ・・」

から始まるハーブヨガ神が意外なことを言った。



「人生の頂点へようこそ」




そして、「今まで子供が生まれて得られた楽しかったこと10個と苦しかった9個挙げてみなさい」

と私に告げた。



とにかく私はやってみるしかなかった。

他に何もできないんだから。


混乱と、苦痛と絶望の中でたった一つ私たちができたこと 、


ぐるぐる歪みながら回転する時間の中で一瞬の静寂を自分の胸の内に作り、向き合う作業。


それは私たちがKotodama Workと呼ぶものだった。




息子が生まれた日、

私の母、父、兄、弟、祖父、祖母、夫、みんなの笑顔 、

今まで感じたことのない家族の増える喜びを共有したこと。


喧嘩ばかりしている、ぎこちない関係の家族が一人の子供を


囲って笑顔でいられること。。


次から次へと心の奥底から浮かび上がってくる思い出と


喜びにどっと涙が溢れて止まりませんでした。

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「こんなに子供から与えられていたことに、なぜ今まで気づかなかったのだろう・・・。」



そして、
今までの子供が生まれてから味わった苦しいこと9つ

風邪をひいてばかりいること、 46.jpg


怒りんぼうなこと、


看病、教育に思い悩むこと・・・


でもでも、
子を得られてから与えられた喜びと楽しさに比べたら、

味わった苦しさなど屁でもないと思ったのです。


さっきまであれほど絶望の中にいた私が、

この苦しみは 乗り越えられる、

いや、もう乗り越えられたと悟ったのです。

流れる涙のたびに胸のつかえが取れ、顔には笑顔が戻りました。


ふと、息子をみると、さっきまでの発作が治まっているのです。



「奇跡が起こった」 47.jpg


誤解を恐れず、率直に言えばそう思いました。


何に頼ればいいのかという悲鳴に、

神様が答えを与えてくれた瞬間のように感じました。

その答えとは私自身だったのです。

それが息子の発作を止めたのです。





簡潔に言えば、48.jpg

「恐怖に取りつかれていた私が笑顔を取り戻したこと」

そのことでした。



息子のぜんそく発作が奇跡のように止まった!


この瞬間、私たち夫婦は今まで見えていなかった全てが遠くまで見渡せたような気がした。



「これなんだ。私たちに欠けていたものは。

病院の技術でも、自然療法のテクニックだけでもない。

私たち親子、夫婦、一家が何を望んでどう生きたいのか。


この一つ一つの行動が目指すべき地点が霞んでしまっていたんだ。


一つ一つの行動を恐怖と依存に突き動かされながら行っていたんだ。 49.jpg

自分たちが何を本当に求めているかを見失ったままで・・・」



私たちが求めること、

それは子供と一緒に泣いたり、笑ったり、

怒ったりしながらお互いに成長していくこと。

だったではないか・・・!



一晩中の修羅場で疲れきった心と体を休めるように息子を抱きながら私はそのまま眠った。

その数時間後、ギィッと音がして医師が経過を観察にやってきた。

私の腹はもう決まっていた。一刻も早く退院しよう。



「おかげさまで発作が止まりました。そろそろ帰らせていただきたいとおもいます。」

と私が言った。



「確かに、発熱と胸の音が今はよくなっていますが、

ネブライザー(吸入)のせいで落ち着いているだけかもしれませんよ。

今日退院するのは現実的でないですね。

これから、とりあえず血液検査と尿検査をします。」



英国帰りなのだろう。格調高いイントネーションで背の高いタイ人医師がそう答えた。

さっきまでの私たちに起こった内側と外側のたぐいまれな経験や出来事など

医師にとってはどうでもいいことだった。



医師が部屋を出て行ってから私たち夫婦はこれからどうするかを話し合った。


私たち3人はさっきまでの出来事で周りの人にはわかりようがないけれど、 50.jpg

ここにいるのはさっきまでの私たちではなかった。

厚く張った自分たちの殻をようやく破壊して、

この世にもう一度生まれ出た真新しい自分たちだと感じた。

蝶がさなぎを脱ぎ捨てたらそこに留まってはいないだろう。



私たちはこの薬品の匂いに包まれた小さな病室にいることが、

小さなプラスチックの虫かごに入れられた大きな羽を持つ蝶のように

息苦しくてたまらない気持だった。



もう自分たちの手で本物の健康を手にするすべを知った私たちは

病院に閉じ込められている必要性を感じなかったのだ。



数時間後、もう一度医師がやってきたとき、私たちは覚悟して申し出た 。



「今日はこのまま退院したいのです。お薬をいただいて、

後はうちで伝統的療法を併用して治していくつもりです。」と。



医師は聴診器で息子の胸の音を聞き始めた。



「胸の音が悪い。肺炎になっている可能性が極めて高いです。」51.jpg

と言った。



「本当ですか?」と私が聞く。



「かなり確信がありますよ。」と、医師が応える。



「このまま、自宅に帰られてもまた今晩も、昨夜と同じようになりますよ。

 私の判断で行けば確実にです。」

医師は私をじっと見つめて真剣なまなざしで問うた。


それはつまり、今晩も夜中に発作を起こして、病院に担ぎ込まれますよ、という意味だった。

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医師のビジョンに感応して、その恐ろしいビジョンが一瞬頭をかすめ、膝がぐらついた。

それでも、私には自信があった。



なにせ、そういった不安以上に七色に輝く私たち家族の未来のビジョンが、

私たちを引っ張ってくれていたからだ。



周りには輝く鳥と蝶たちが私たちを取り囲んでいる。


そして、

外へ出ようと誘ってくれているような感覚があった。



私は医師に答えた。

「承知しました。それでも退院します。」



一瞬の沈黙の後、

「・・・・いいでしょう、You need to sign the paper.


(それでは誓約書にサインをしてから帰って下さい。)」



と言った。



「I will sign the paper はい、サイン致します」




それは、この後、何が起こっても、一切病院のせいにはしない。


すべての責任は自分で取りますということを誓う誓約書のことだった。





医師はあきれて、お手上げだという表情で部屋から出て行った。



私たちはサインをして、

身支度を整えると薬をもらって手続きをしてから、

世界中から患者のやってくる世界最先端の技術を提供してくれる病院というよりはホテルのような高い建物の外へ出た。

大通りまでの道が渋滞していた。54.jpg

私たちの体は内側からあふれ出すエネルギーの強さのあまり、

じっとしてなどいられなかった。思わず、夫と二人同時に走り出した。





この渋滞の空気の悪さの中でも、

息子を抱いて連なる車をかき分けてスカイトレインの駅までの数百メートルを駆け抜けた。

そして駅の階段を一息で駆け上がった。

それは天に続く坂道のようにも見えた瞬間だった。





すがすがしかった。

腹の底から爽快だった。



「頼みの綱は自分しかいないなんて、 本当にすがすがしい気分だ。震えが来るほどね。」

と夫の健太郎が言った。

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家に帰ってから念入りに調合したハーブを当てて、肝腎脾の手当てをした。

その夜、医師の予言とは裏腹に息子は発作を起こさなかった。

その後、2週間ほど、毎日朝と晩に手当てを行った。

今のハーブヨガの陰と陽のハーブボールの原案もこのときに使ったアイデアを元にした。


そして、その後一年近くたった今日まで息子の発作は起きていない。  



(※現在は最期の発作から数年経っているが、息子は未だに喘息どころか、風邪で寝込むことすらない体質を維持している。)




結局、私たちにわかったことはとても単純なコトだ。

命の責任なんて、重々しい響きだけど、そんな重圧がのしかかるようなこと考えれば身動き取れなくなる。

だって命の責任なんて誰もとれやしないのだから。

まして、子供の命の肩代わりなんて物理的には不可能な話だ。

私達はどんなに望んでも子供の身代わりになることはできない。



大切なのは、親として、母親として、笑顔で一緒にいたいのか、

元気であって欲しいか、どういう関係でありたいのかを望むか、望まないか。

自分がそうありたいと望むことに対して、どう責任を取るのか、それとも、とらないのか。



ここで、責任を取ったかどうかがわかるのは、


望むビジョンに対して行動をした時だ。


何かを願って行動することとも言い換えられる。


なぜなら、形にして示さなければ責任を取ったことにはならないからだ。

ただ、先に学んだバランスをとることと同じで、何かを否定して何かに頼るのではなく、

すべての選択肢を手中にし、その選択肢を持つことに感謝すること、


そして、


その中でも、自分が芯から納得できる選択肢を実行できるかどうか。



納得とは「わだかまりを残しているけれど、とりあえずそうしよう」と思うことではない。


このときの私たちのように、

腹の底から『すがすがしい』と思う、

そのエネルギーで体が勝手に動き出すように行動してしまうこと、なのだ。



そしてそれは本当に大きな渦となって私たちの人生に奇跡とも呼べる現象を巻き起こす。


これが私たちが経験したコト。


そして、全世界に伝えたいコトだ。

~命の責任 最終章 鳥と蝶のように自由に~ 終わり



2009年5月7日から10日のブログ「宗 冨美江の恋する毎日」より

コラム~東城百合子先生の自然療法という本~

自然療法の伝道に人生をささげている:東城百合子先生

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私はこの本に運命を感じていた。

なぜなら、それまでの夫と二人で行っていた瞑想ワークの中で、
「ビワの葉が効果的だ」とハーブヨガの神様が教えてくれるビジョンをみていたからだった。

そのビワの葉療法について載っているこの本は、神様から「これをやれ」と後押しされているように確信した。
「これで治る!」という確信があった。

つまりこのとき、確実に治る!というビジョンが見えていたんだと思う。

ビジョンとその後の必死の看護という姿勢が結びつき、奇跡的な結果と言うものに繋がった。

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東城百合子先生の自然療法:あなたと健康社刊。


※通常の流通に頼らず、口コミだけで100万部近くを売る名著。 一家に一冊は欲しいですね。


コラム:吸入マシン「もこもこさん」は買わずに済んだ

このように、簡単に治ったように見えると、
「じゃあ、息子さんの症状はそんなに重くなかったんですね。」とかいう方が居る。

しかし、残念ながら息子の症状は大変重いものだった。

吸入するためのマシン通称「もこもこ」さん(もこもこと薬が煙状になって吸入するための機械のことを入院先の小児科の看護婦さんがそう呼んでいた)も、「しっかり買って、タイにも持っていきなさい」と言われていた。

しかし、日本に居るうちに自然治癒で薬が必要ないほどにまで回復した。

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写真:ステロイド吸入マシン:通称「もこもこさん」